すれ違うアムステルダム

アムステルダムで日本人とイタリア人がフラットシェアをする日常。

食への執念について

私とK氏は月に100ユーロずつを出し合って食費(+雑費)をシェアしている。外食は除き、作るのは私が、洗うのはK氏が、という役割分担がK氏の協力のもと、いつのまにか出来上がった。キッチンは3人で共用のため一気に作るほうがみんなにとって効率が良いし、一人分をお互いに作るよりも食費は間違いなく浮く。浮いたぶんで、家のペイントやDIYへお金を回したいがためにK氏をまきこんだ(下心ある)提案である。

でもまだ完成形ではなくて、150ユーロで済むなら浮いた50ユーロで壁をペイントしたい、とか、コーヒーマシンが欲しいよね、とか試行錯誤は進行形。


オランダに住んでいる、というと100%聞かれるのが「普段何食べてんの?」という質問である。米はあるのか、とか、ラーメンを食べたくならないか、とか。それはさながら、まるで国外は宇宙にいるかのような質問を受けることが多い。基本的には(私の暮らしは)あんまり日本と変わらないと思っている。食いしん坊は食いしん坊なりになんとかするし、なっている。ないものも多いけれど、手に入るものもあるし、その代わりちょっと見かけない食べ物もたまにある。ただ、それだけのこと。
あれがない、これが高い、日本と同じ●●はコレ!みたいに大騒ぎすることもないし、そして別にヨーロッパが特別、でもなんでもない。その国に住んでいる人は、それが今まで当たり前で、丸裸で赤ん坊の状態から立派な大人に育っているのだから、日本と同じ食材が無ければ無いでも、死なないのだ。

日本だったら、海外だから、とかいうのは全然関係がなくて、ただ日々食べたいものをあるものでどう美味しく食べられるかを想うだけ。たまたまオランダで暮らしているのも自分の意志で、何を食べようかと決めているのも自分。ロブスターを気軽に買える身分でもないし、身の丈に合って、できることで、無理せず精一杯楽しく。これは自分の中にある「食に対する執念」的なものかもしれないと思っている。


ヨーロッパにいて変わった意識といえば、「気軽に買ってそのまま食べられる食事」が限りなく少ない。 調理済の惣菜や、おにぎりのような調理なしで食べられるもの、格安のお弁当など。誰かが手間を加えているものは、価格に上乗せされて当たり前の認識のもと、似たようなポジションにあるものは高い。だから「素材」をそのまま食料にしていることも多く、どこかのセレブリティなモデルのように、おやつには手のひらにすっぽりと入るほどの大きさのリンゴをどこからともなく取り出し、丸かじりをしていたり。これからケバブを食べようと行列に並んでいる、タトゥーをまとい、なかなかのいかついファンキーな殿方が、ポケットから黄桃を取り出し十徳ナイフで器用に剥き、食べ始めるなど。

こんな文化はスナック菓子や、添加物まみれの軽食よりもよほど健康で文化的な最低限度以上の食生活のようではないか。日本で暮らしていた過去の思い出では、私にとってフルーツといえば「献上品」のような、箱やひとつひとつ包装されたフィルムの中でキラキラと輝くオーラを放ち、たちまちエンゲル係数を押し上げる一人暮らしには幾分使い勝手の悪い憧れの食べ物であった。勤め先のお歳暮や、実家の仏壇からのお裾分けをいただく身分。ありがとうごぜえますだ。自家製スムージー生活やどこぞやの人気モデルが推奨する置き換えブームに乗っていたら破産生活まっしぐら。ヨーロッパは物価が高い、消費税が高い、と言われる割には、「素材」がとてもお手頃なのは嬉しい誤算。
潤沢なお金はないけど、せっかくだから食べたいものを作りたいもの。


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初めて国外のドイツに住んだばかりのときは、食に関しては絶望しかなかった。コメはあってもお供がない。何が何味なのかわからないし、生で食べられるのか調理が必要なのか、塩はドイツ語で何ていうんや、とか。でもだんだん暮らし方のコツを知って慣れてくると、普通の食生活ができるようになっていた。

一時帰国のときに持ってきた調味料とか、一部の道具を除くとこちらの素材でもなんとかできるということに気がつくと、いたって普通の毎日だ。多少手に入らないものもあるけど、まあいいやなくても、まあいいや似てそうなので、でやりすごす。美味しければ、いいのだ。それでも恋しい食べ物はあるけれど、帰国時の楽しみとして毎日を過ごすのも悪くない。日本でチヤホヤされているチーズやハムが、こちらでは庶民価格で満喫できるんだぜ。ということでイーブンではないか。そして、いろいろな初めて見る調味料や未知の食材に戦いを挑むのは、とても楽しい。

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